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Story

癒しの洞窟の伝説

これは我が村で信仰されている「水晶天使」の伝説である。
始まりは、とある村の村長夫婦の間に娘が生まれたことだった。
その赤子はとても可愛らしく、輝くような光を身にまとっていて、妖精や精霊、だれもが祝福を与えるほどだった。
 きっとこの子は全ての人に愛されて幸せな人生を送っていくだろう。周りにいる者たちは皆そう信じて疑わなかった。
だがある寒い日の朝、それは起こった。

「あなた、あなた……!」
「? どうしたんだ、そんな大声を出して」
「ア、アリアが……!」
「これは……」

 両親にはすぐにわかった。
 目の前で聡明な笑みを浮かべる我が子。
それが昨日までの娘とは違う、別人になってしまったことに

――チェンジリング。
 取り替え子。妖精のイタズラとも、天使の気まぐれも言われている、子どもが入れ替えられてしまう伝承。
 どうしてそれが起こるのか、だれがどういう理由で選ばれてしまうのかはわかっていない。ただ一つだけ確かなことがあった。
 それは――取り替えられた子が、もう戻ってはこないということ。
 悩み抜いた末、両親は一つの決断を下した。

「この子に罪はない……このまま放り出すわけにもいかないだろう」
「それじゃあ……」
「ああ、今日からこの子が、アリアだ」

 そううなずき合って、両親はその子を自分たちの娘として育てることを決めた。
 ――それから、十数年の月日が経った。

「おはよう、アリアちゃん」
「おはようございます。マーサさん」

 優しい声で手を振ってくる隣人に、わたしは笑顔で挨拶を返す。

「今日も両親のお使いかい。ご苦労だね」
「ううん、ぜんぜん。わたしから頼んでお手伝いさせてもらってるんだもの」
「ふふ、感心だね。ああ、そういえばあんた、もうすぐ誕生日だったね」
「うん。ちょうど一週間後に十四歳になるの」
「そうかいそうかい、あのちっちゃかったアリアちゃんがねえ……。そりゃあ私も歳をとるわけだ」
「マーサさんはまだまだ若いですって」
「はは、そりゃありがとね」

 そう笑い合ってマーサさんと別れる。
 村の盛り場に足を踏み入れると、すれ違う人は皆、優しく声をかけてきてくれた。

「アリアちゃん、今朝採れたばかりの野菜だ。持っていきな」
「ありがとうございます」
「ねえアリア、後でうちにおいでよ。いっしょに紅茶を飲みながらアップルパイ食べよ」
「あ、うん、絶対行く行く!」
「お、アリアちゃんか。あんまり走って転ぶんじゃないぞ。村長によろしくな」
「はいっ」

 ここに住む人たちはみんな温かい。
 温かくて、好意的で、心地いい。
 そしてそれは、両親も同じだ。

「おかえりなさい、アリア。今日はアリアの好きなタマネギのスープよ」
「本当? わあ、うれしい」
「たくさん食べるといい。ああ、誕生日にはお父さんが大きな魚を獲ってきてあげるからな」
「ありがとう、楽しみにしてるね」

 幸せだった。
 決して裕福ではないけれど、優しい両親と親切な村の人たち。
 毎日が小さな幸福で満ち足りていて、いつだって笑顔が絶えることがない。
 日だまりのような、凪いだ水面のような、穏やかな暮らし。
 そんな日々がいつまでも続くと、わたしは信じて疑わなかった。
 だけど……

「ほう、村長にこんな美しい娘がいたのか。見落としていたな」

 誕生日を迎えた日。
 たまたま村にやって来ていた領主が、両親と共にいたわたしを見て舐めるような視線でそう言った。

「育ちはまずまずだが、まあ目をつむろう。三番目の妾として迎えてやる。我が屋敷に来るがいい」
「領主様、それは……!」
「どうかお考え直しください! 娘はまだ十四になったばかりで……」
「黙れ。十四ならばもう子も産めよう。代わり映えのしない端女どもにも飽きていたところだ。ちょうどいい」

 もともと人を人とも思わないと評判の領主だった。
 気に入らない者を無実の罪で投獄したり、財産を搾り取った挙げ句に領地外に追放したなどという話も聞く。
 必死な表情ですがる両親に、領主は吐き捨てるようにして言った。

「我はこの地の領主だ。つまりこの土地にあるものは全て我のモノ。モノに意見をする権利などない。これは命令だ。その娘を我が妾として嫁がせよ」

それはもはや提案ではなく一方的な脅迫だった。
 だけどそれでも両親は頑として首を縦に振らなかった。

「ええい、たかが一介の村長ごときが我に刃向かう気か! 生意気な。それならば考えがある。見ているがいい」

 業を煮やした領主は、村に重い税をかけた。
 辺境の小さな村だ。その仕打ちはすぐに大きな枷となって生活を圧迫していった。
最初は同情的だった村の人たちの態度も次第に変わっていき……

「アリアさえ言うことを聞けば俺たちはこんな目に遭わなくてもいいのに……」
「妾とはいえ領主のだろう。それなりにいい暮らしはできるだろうに……」
「いつまでこんなひどい暮らしが続くのやら……」

 人の心は弱い。
 眼前に突きつけられた苦難の前には、それまでの信頼関係なんて泥のように簡単に崩れてしまう。
 積もった不満は、やがて嫌がらせや脅迫というかたちでわたしたちに向けられるようになった。

「何でお前たちのせいで俺たちが……」
「ちっ、村長のくせに村を苦しめやがって……」
「村から出て行けよ!」

 無視され、交流を絶たれ、時には罵詈雑言を投げかけられることもあり……

「大丈夫だ、お前のことは私たちが守るよ、アリア」
「あなたは何も心配しなくていいのよ」
「だけど……!」

 見ていられなかった。
 両親はそう言ってくれたけれど、このままじゃいずれよくないことが起こるだろうことは、世間知らずなわたしにもわかった。
 だけどわたしがあの領主のもとに行けば、きっと両親は悲しむ。
 だったら……

「神様のものに、なればいい」

 考え抜いた末の決断だった。
 領主よりも、より上の存在のもとに嫁いでしまえば、もう手は出せない。

「お父様、お母様、わたし――」

 渋る両親を説き伏せて、わたしは教会に入り修道女となった。

 教会での生活は、厳格で質素なものだった。
 毎朝起きて神様に祈り、お昼のお務めをして神様を敬い、夜眠る前に神様に感謝をする。

「全ては神様のためにあり、私たちは神様のために身も心も何もかも捧げるのです」

 神父様の言葉だ。
 だけどそんな毎日も、もともと信仰心の篤かったわたしには苦にはならなかった。
 唯一悲しかったのは両親に会うことができないことだったけれど、二人は毎朝欠かさず教会にお祈りに来てくれた。その姿を物陰からそっと覗き見ることで、心を慰めることができた。
 これでいいんだ……
 そう思った。
 わたしさえこの状況を受け入れれば何もかも全てうまくいく。
 それならば、少しくらいのさみしさなどは我慢しなければならない。
 そんな毎日がどれくらい続いただろう。
 だけどある日、朝の礼拝にそんな両親の姿がないことに気づいた。
 自分以上に敬虔な両親が、そろって毎朝の祈りを欠かすことなどあるのだろうか。
 イヤな予感がした。
 虫の報せとか、きっとそういうものだったのだと思う。

「お父様、お母様……!」

 気がつけばわたしは教会を出て、村へと走っていた。

 見慣れたはずの村は異様な雰囲気に包まれていた。
 空気が淀んでいて、どこか居心地が悪い湿気が身体にまとわりつく。
 いったい何があったんだろう。身震いとともにそっと忍びこみ、入り口で見張りをしていた村人たちの話を盗み聞いて、わたしは息を呑んだ。

「あの二人はどうしたんだ?」
「さあな。口答えしたから痛めつけてやったらしい。森の奥の洞窟に捨ててくるってよ」
「あのケガじゃ自力では戻ってこられないかもな。けどあの二人のせいで領主に睨まれちまったんだ……」
「ああ、おかげで毎日のように税の取り立てに来やがる。逆らえばそれだけで鞭打ちだ。マーサんとこの旦那もやられたってよ……」
「隣の息子は馬に繋がれて引きずり回されたらしい……。これも全部、村長のくせにあの二人が言うことを聞かなかったからだ。自業自得だよ……」
「……ああ、しょうがねぇよ……」
「……っ……」

 走った。
 村から街道へ、街道から森へ。
 木の枝で服が破れ、肌のあちこちに切り傷を作ることすら厭わずに、無我夢中で走った。
 そう遠くないはずの洞窟までの道のりが、まるで無限の距離のように感じられる。
 だけどようやく辿り着いた森の奥。
 暗く湿った洞窟の底でわたしが見たものは……

「お父様、お母様……!」
「……アリア……なの……かい……」
「……どう……して……ここに……?」

 今にも事切れそうな……傷だらけの両親の姿だった。

「二人とも、しっかりして! 今お医者様のところに連れていくから……!」
「……いいんだよ、もう……よかった……最期に会えて……」
「……これで私たちも……心おきなく……」

 両親の全身の傷は深く、もはや助からないだろうことはわたしにもわかった。わかってしまった。

「ごめんなさい……わたしの……わたしのせいで、こんなことになって……!」

 大粒の涙とともに、後悔の念が流れ出る。
 自分のせいで両親が村八分にされていたこと、大事に育ててくれたのに一生独身のまま神様に奉仕をする修道女になったこと、それが気まずくてなかなか帰らなかったこと……
 何もかもが、すべてが後悔でしかなかった。
 イヤだ……
 このままお父様お母様とお別れをすることになるなんて……絶対にイヤだ……!

「だいじょうぶ、絶対に助かるから……! ほら、お父様とお母様……わたしが子どもの頃に言ってくれたでしょう? 怪我をした時は、こうやって優しく抱きしめながら痛いところをさすれば、すぐによくなるって。だから、だから……」
「……アリア……」
「……そんなことを、覚えて……」

 消え入りそうな声でそう口にする両親の身体を、必死にさする。
 いつの間にか小さく、棒のようになってしまった身体。
 もう涙で目の前がほとんど見えない。
それでも、わたしは両親の身体をさする手を止めることはできなかった。
 どれくらいそうしていただろう。
 流した涙が湖を作るのではないかと思われた頃に、それは起こった。

「え……?」

 ふいに辺りがまばゆいほどの光に包まれ、その中から美しい女性が姿を現したのだ。

「……あなた、は……」
『私は女神……この世界を見守り、守護する存在です』
「……!」

 女神……?
 女神って、あの……?
 わたしは主に関係する存在への礼儀も忘れ、思わず叫んでいた。

「あなたは……あなたは本当に女神様なの!? それなら何でもいいからお父様とお母様を助けて! このままじゃ死んじゃう……! 女神様ならできるでしょ……!」
『いいえ。彼らを救うのはあなたです』

 すがりつくわたしに、女神は言った。

「わたし……?」
『そうです。天使の子であるあなたが……彼らを救うのです』
「え……?」
『あなたは幼い頃に取り替えられた天使の子……彼らとあなたの間には血のつながりはありません』

 一瞬何を言われているのかわからなかった。
 わたしが、天使の子……?
 あまりに突然な宣告に、頭の中が真っ白になる。
だけど両親に目をやると、苦しげな表情の中にもその言葉が真実であることを示す光が浮かんでいた。

『それは紛れもない事実……ですがそれゆえに、祈りを込めたあなたの歌声には特別な力が――生命を癒す力があります』
「わたしの、歌声に……?」
『そうです。ただしその力は無限ではありません。使えば使うほど確実にあなたの命を削っていくことでしょう。そしていずれは……。その覚悟はありますか?』
「……よかった」

 わたしは思わずそう口にしていた。

『……ほう、よかった、とは?』
「私の命なんてどうでもいい。そんなもので大切なお父様とお母様を助けることができるなら……何も惜しいものなんてない」

 実の娘でないのにもかかわらず大事に育ててくれた両親。
 いつだって温かく包みこむような大きな愛でわたしを守ってくれた大好きなお父様とお母様。
 二人にもらった命だ。
 その両親に恩返しができるのは、今をおいてないと思った。

『ふふ、そうですか、それがあなたの答えですか……美しい……うふふ……』
「ええ、そうです。お父様、お母様……今度はわたしが……絶対に助けるから……!」

どうかお父様とお母様の心の傷も、身体の傷も、全てよくなりますように……!
 歌った。
 祈りの中にこれまでの感謝を、思い出を、ありったけの愛情を込めて……声を張り上げた。
 意識が白く染まる中、二人との思い出が脳裏をよぎる。
 両親と共に過ごした十と四年の月日。
 初めて馬に乗れた時に優しく頭を撫でてくれたこと、悪夢を見て夜中に目を覚まして泣くわたしを温かく抱きしめてくれたこと、毎年誕生日には甘い甘いリンゴのケーキを焼いてあふれんばかりの笑顔で祝ってくれたこと……
 そのどれもが、温かくて幸せな、宝石のような記憶だ。
 だから……

「お願い……!」

 ……お父様とお母様を助けて……!
 無我夢中だった。
 もうこれで全てが終わってもいいと思った。
 だから気づかなかった。
 歌うほどに周囲に光とともに青い花……青いラナンキュラスが一つまた一つと咲いていき、わたしの背中にはいつの間にか一対の翼が生えていたことも。
 やがて光が収まる頃には両親の傷はすっかり消えてなくなっていて、それを見た二人は文字通り奇跡を目にしたかのように目を瞬かせた。

「……はあ……はあ……」
「アリア、私たちは……」
「助かったの……?」
「お父様、お母様……うん、そうだよ……っ……」

 そうだ、お父様とお母様は救われた。
 何が起こったのか、これからどうなるのか、わたしには何もわからなかったけれど、それだけでもう十分だった。
 この世のものではないような美しい青い光を放つラナンキュラスに包まれて、涙を流しながら、強く抱き合ってかけがえのない家族の絆を確かめ合うわたしたち。
そのわたしたちに、女神はこう告げた。

『ふふ……よくやりましたね。このラナンキュラスは、あなたが存在するための力の源です。この花が全てなくなればあなたは消滅するでしょう。それを避けるためにいくつかの花を、生命力を活性化させる力がある水晶の中に閉じこめました』
「水晶……?」
『あなたはまだ力の弱い天使……輪が不完全な三角であることがそれを示しています。ですが不完全な分だけ、あなたには可能性がある。その可能性が花開き、やがて天使の輪が円となる時、あなたは完全な高位の天使となるでしょう。そう、何よりも美しい存在に。その日を楽しみにしていますよ、うふふ……』

 そう薄く笑って、女神は光に溶けるように消えた。
 まるで最初からそこには何も存在していなかったかのように。
 何でもよかった。
 天使だとか、不完全だとか、今のわたしにはよくわからない。
 だけど……その力のおかげでお父様とお母様がこうやって無事でここにいることだけは事実だ。

「本当に、よかった……っ……」

 感謝の気持ちとともに、わたしはお父様お母様と再び抱き合った。
 そこには、懐かしく心地のよい温もりが確かに感じられたのだった。

 ◆

 その後……彼女は力を癒すために、青いラナンキュラスの水晶が淡く輝く洞窟にとどまったのだという。
 そのどこかはかなくも美しい姿から、やがて彼女は『水晶天使』と呼ばれ称えられるようになった。
その癒しの力の恩恵は周辺にも広く及び、洞窟がある森の木々や動物たちは生き生きと育ち、それとともに村も発展したということだ。